bluelake725のブログ

最近、朗読に関心を持ちました。そしたら改めて、日本語を勉強する必要があると感じて
いるところです。(えびなコトバの会)

【26】百人一首③あしひきの…ながながし…

あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
    ながながし夜を ひとりかも寝む

              柿本人麻呂
【意味】山鳥の長く垂れているように長い夜、山鳥はオスとメスが、
山を隔てて孤独に寝るというが、あなたを思いつつひとり寝をする。
 「あしひきの』…ご存知のように、「山」にかかる枕詞です。
「山鳥の尾」…山鳥は尾が長い鳥で、オスメスが、谷を隔てて寝ると言われている。
「しだり尾」は、垂れる尾ということ。長く垂れている尾。
だから山鳥の尾が長いようにこの長い夜を、山鳥のように一人で
寝ることの寂しいことよ。
「しだり尾の」の「の」は、格助詞で比喩を表す。「…のような」
「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし」は、つぎの「夜」を引き出す
序詞という。秋の長い夜を思わせる。
 これ、すごい言葉遊びですね。芸術の遊び、”ゆとり”とも言える。
この歌も、「の」の魔術がある。あしひき、山鳥、尾、しだり尾
というように4つの「の」で、脚韻を踏む。
「ながながし」はNAGANAGASHIというようにA(あ)の重複で、声調を整える。
読み手が読むときに、なめらかで優しい響きになると。
 もうちょっと説明を続ける。
「ひとりかも寝む」…「か」疑問の係助詞
          「も」強意の係助詞
          「寝む」の「む」は推量の助動詞


ということで、「やっぱりひとり寝をすることになってしまうのだろうなあ」
という意味になるのだろうか。こんなふうに考えていくと、文法も面白い。
ついでに言うと、助詞は格助詞、副助詞、接続助詞、終助詞の4種類ある。
もう少し細かく分けて、6種類、9種類と分ける場合もある。 
作者・柿本人麻呂は、「人麿」と書いたり、「人丸」と書いたりしている。
柿本人丸を祭って、人丸神社というのもあるそうだ。人丸神社では、神様になっていて、
ヒトマル=火止まる(火災除けの神様)、ヒトウマル=人産まる(安産の神様)でもあると。すごいね~。これ民間伝承。歌聖と呼ばれて、歌の神様とも言われている。
 今回はここで終わり。
 
 
 


 


【25】最近辞書で調べた言葉②、新聞は勉強になる

①換骨奪胎(かんこつだったい)【先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新
                味を加えて独自の作品にすること】
②言挙げ(ことあげ)     【ことさら言葉に出して言い立てること】
③方解石(ほうかいせき)   【無色透明なガラスに似た鉱物。平行四辺形の面を持
              つかけらに割れ、これを通してみると物が二重に見える。
              炭酸カルシウムを成分とする】
④行在所(あんざいしょ)   【⇒行宮(あんぐう)に同じ。天皇の行幸のときに設
                けた仮宮】
⑤切米(きりまい)      【江戸時代、幕府・藩が軽輩の士に与えた俸禄米また
                は金銭】
⑥悔悟(かいご)       【自分のした事は悪かった、これから再びすまいと堅く
                心に誓うこと】⇒「改悟」とは違う。
⑦羈旅(きりょ)       【和歌・俳句の部立の一つ。旅に関する感想を詠じたも
                の】
⑧雲散霧消(うんさんむしょう)【心を占めていた悩み・疑問、期待感などが、跡形も消
                えてなくなること】
⑨揺曳(ようえい)      【ゆらゆらとなびくこと。また、あとあとまで長く、そ
                の気分や痕跡などが残ること】
⑩嘱目(しょくもく)     【目をつけてよく見ること。注目。「嘱目される新
                人」】
⑪独壇場(どくだんじょう)  【「擅(せん)」の誤読からできた語。⇒「どくせんじ
                ょう(独擅場)」に同じ】
⑫欽仰(きんぎょう)     【尊びうやまうこと。仰ぎ慕うこと。】


 12月1日(火)東京新聞夕刊「手話は『言語』そのもの」
        丸山正樹・作家『デフ・ヴォイス』がデビュー作
作品は、タイトル通り「手話通訳士」が主人公で、「耳の聞こえない」人たちが登場するミステリー小説である。文庫化し、よく売れているようで、著者のところに感想等が寄せられるという。
 その感想の中で多いのは「知らなかった」と「驚いた」という声であった。
何に驚いたのか。耳の聞こえない人たちが、自らを一種の誇りを持って「ろう者」と称する。彼らが自分たちのことを単なる「障害者」とは考えていない。「日本手話」という言語と固有の文化を持つ存在、ととらえている。彼らは、寝言も手話で言うし、手話でジョークも言う。生まれたときから使っている「言語」であれば当然のことだ。
たとえば筆談は、彼らにとっては、「第2言語」であると。一方、手話は独自の文法を持ち、表情の変化などとも併せ微妙なニュアンスまで伝えることができる。彼らにとって手話は、「言語」そのものなのだ。
 耳の不自由な人たちは、今、手話が言語であると法律で位置づける「手話言語法」の制定を訴えている。「どこでも気兼ねなく自由に手話が使える社会環境」がつくられることが、彼らの願いである。
 活動が功を奏して、自治体レベルでは「手話言語条例」の制定が進み、「手話は言語である」という考えが少しずつ広まってきているようだ。
 わたしも、手話は「言語」である、という認識に、自分の不明に驚いた。手話についてそれを使う人にとってどういう役割を果たしているか、考えが足りなかったようである。手話という言語が、それを使う人と一体のもであるという明確な認識が不十分であった。私たちは、すべてのことを言葉を使って、処理している。ものを考えるのも、人に自分の考えを伝えるにも、コトバがなければできない。それと同じことをろう者は手話を使って行っているということに驚いたのである。完全に認識不足であった。
『デフ・ヴォイス』を読んだら、もっと手話の持つ力と手話がろう者にとってどういうものであるかわかるのではないか。
 アマゾンの読者の感想を見てみたら、やはり手話が独立した言語であるという認識が、わたしには不足であった。私達が日本語を使うのと同じ、アメリカ人が英語を使うのと同じ、ドイツ人がドイツ語を使うのと同じである。使う言語が、その人のアイデンティティであるとも述べている。考えるべきことであると思った。新聞は勉強になる。


【24】春すぎて……衣ほすてふ……

春すぎて 夏来にけらし 白妙の
   衣ほすてふ 天(あま)の香久山     持統天皇


春すぎて、夏来たるらし 白妙の
       衣乾したり 天の香久山     (万葉集 巻一)


 わたしが、なじんでいるのは、万葉集に出ている方である。
並べて、くらべてみると、ほとんど同じであるが、最初はえらく違和感があった。
「夏来にけらし」と「夏来たるらし」、と「衣ほすてふ」と「衣乾したり」の2か所がちがう。でも読んだ感じはだいぶ違った。まず万葉集の方が、今の言い方に近いからすっと頭の中にも心の中にも素直にないってくる。そうかい、山の上に干した白い衣が風にそよいで、きれいだね~。いつのまにかもう春は行ってしまって、夏なんだ~、というわけだ。
 白洲正子さんは、この歌の印象として、春雨が、からっと晴れ上がった翌朝、、洗濯物を干したときのあの気持ちよさを歌っているもので、むずかしいことは抜きで鑑賞すればよいと言っている。
 そうはいいながらも、次のようにも言っている。


その万葉の歌が、「新古今集」に移されると、別の趣を呈してくる。「万葉集」では、正面からじっと見据えて謳っているが、新古今の香久山には春霞がただよう。
 「夏来にけらし「は現代語に訳せば、「夏が来たらしい」で、「夏来たるらし」と大差はないが、雅やかなことでは前者がまさる。仔細に見れば、「万葉集」の方はおなじ「らしい」でも、肯定的であるのに反して、新古今の歌には、微妙なニュアンスの違いがあり、「夏が来たのであろうか、どうもそうらしい」といったような、気持ちの揺れが感じられる。
 特に違うのは、下の句の、「衣乾したり」と、「衣ほすてふ」で、前者が断定しているのに対して、後者は「衣を乾すという」と、ある時間を置いている。間接的な表現と言ってもいいが、天の香久山を遠くから眺めている気分である。(『私の百人一首』白洲正子)


わたしが、どうもなじまないと思ったのは、こういうことだったんだ。何十年もたってようやく理由が分かった。わたしは、万葉集を習ったときには、ああいい歌だな、と思った。他の歌でも、いつも新古今集より万葉集の方がすきだった。新古今になったら、国語の時間にもあまり身が入らなくなって、つまらないと思い始めていた。


そこで作者の持統天皇のことを整理しておこう。
持統天皇は、女帝であった。わたしは、これも驚いた。へ~、すげえな。女の天皇か。
それまでも、推古天皇が女性の天皇だと知って、どういう人だろうと関心を持ったことがあった。
 実は持統天皇は」、第一首目の「秋の田の~」の天智天皇の子ども・娘であった。
それが、天智天皇の弟の大海人皇子(のち天武天皇)の嫁さんになっていた。
 天智天皇がなくなると、そのあとを大友皇子が継ぐのだが、すぐに大海人皇子が、戦いを起こす。ここでこの嫁さんは、大海人皇子とともに、果敢に戦って、勝利する。天智天皇の息子・大友皇子は敗走する。(壬申の乱という大戦争)
 いよいよ大海人皇子は、天武天皇として、君臨する。
天武天皇が亡くなると、持統天皇は、自分の息子・白壁皇子を天皇に就けようとします。そこで天智天皇のもう一人の息子・大津皇子を謀反のかどで、死に追いやってしまいます。だが白壁皇子は間もなく即位することなく亡くなってしまいます。、こんどはこのお母さんは、自分が持統天皇として、立ちます。
 都も藤原京に移し、そこで「春すぎて~」と謳ったわけだということです。




朝日の中、鎮守の森のリュウ

森の中、朝日が差し込む。何を考えるか?

カラスウリ?

えっ?

朝のサラダ

朝の草食べ。

内弁慶、我が物顔、偉そうなリュウ。