bluelake725のブログ

最近、朗読に関心を持ちました。そしたら改めて、日本語を勉強する必要があると感じて
いるところです。(えびなコトバの会)

【23】リュウ君と城址公園へ

いいお天気が続きます。
きょうも午前中日がさしている間に、久しぶりで少し離れた綾瀬市にある城址公園へ出かけた。
鎌倉時代の源頼朝の御家人として活躍した渋谷重国の居城跡と伝えられています。
遺存状態も良く、大規模な堀切や土塁がはっきりと残されています。かながわ花の名所100選にも入っており、気持ちのいい場所です。
 さてリュウ君の散歩です。きょうは家族全員でお出かけ、といっても私と妻、そしてリュウ君です。
3人で出かけるときは、リュウ君喜び方が違います。うれしいな~、という感情が伝わってきます。
尻尾を振る、体をよく動かす。他人の顔をよく見る。そんなことで伝わってきます。歩きはじめると、歩き方にもうれしさが現れます。足取りが軽い感じがして、よく見ると、人間の子どもと同じかもしれません、表現の仕方が。人間の子は尻尾、振りませんけどね。


 うちの近所の五社神社に向かいます。ここは毎朝お参りしてから散歩に出かけます。いくら教えてもお参りの仕方を覚えませんが、犬はいいことにしました。
リュウはこの神社が気に入っているようです。鎮守の森があって、そこに入って遊んだり、用を足したり、なによりいつもかわいがってくれるKさんに会えるからです。きょうはKさんは丹沢湖マラソンに出場のため、神社にはいませんでした。昨日会ったとき、頑張ってください、と「お手」をしました。このあと神社の横を下って、綾瀬西高校の前を通り、城山中学校の前を通れば、城址公園です。
ここへ来るまで何度道草を食ったか。土手の上に登って、草を食べたり、よその犬がいたと言ってはワンと言ってみたり。リュウ君との散歩は疲れます。いろいろやるからです。
 公園に入って、最初に行くところは、ベンチです。リュウ君、ベンチに行くとおやつがもらえるという変な癖がついてしまったのです。おやつを食べ、水を飲み、人間はミカンを食べて、ぐるっと一回りして、Uターン。
1時間30分の散歩でした。カメラを忘れて、写真がありません。

【22】湯桶読みと重箱読み

1.漢字の読み方
子どもの頃、「それじゃ重箱読みになっちゃうよ」などと、読み方が変だと指摘されたことがあった。
重箱読みは、2字続いた漢字の読み方で、変則的な読み方の一つだ。変則的だからいつも適用されるわけではない。
 ところが湯桶読みというのがあるのを知った。誰もがその読み方で、読んでいるのだけれど、そんな名称があるのを初めて知った。


 重箱読みは(カナが音読み、ひらがなが訓読み)違う読み方を二つ重ねるので、重箱か。
 最初を音読み次の漢字を訓読みで読む。重箱(ジュウばこ) 音読み(オンよみ) 客間(キャクま)
 工場(コウば) 台所(ダイどころ) 残高(ザンだか) 金星(キンぼし) 新顔(シンがお)


 湯桶読みは(重箱読みの逆になる。訓読みが初めに来る)
 朝晩(あさバン) 雨具(あまグ) 遅番(おそバン) 手帳(てチョウ) 親機(おやキ)
 薄化粧(うすゲショウ) 大騒動(おおソウドウ) 豚肉(ぶたニク)


2.【百人一首コーナー】
 ①秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ    天智天皇
  (あきのたの かりほのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ)
   季節は、今頃より少し前かもしれません。
   百人一首100首のうち、最初の2首と最後の2首が天皇の歌です。
   最初がこれ、天智天皇の歌です。つぎが持統天皇です。
   最後の2首は、99.後鳥羽院と順徳院です。こちらは法皇になっています。
   このお二人は、悲劇の帝王と言われています。
   そのお二人で、百人一首の最後にするとは、意味ありげだと思いませんか。


大山に行ってきました。

花が少しくたびれていました。


まあ、よか。

【21】百人一首

寒い1日であった。いつものように朝7時にリュウの散歩に出かけた。
犬の機嫌はどういうことなんだろうと思う。家を出てみぎへ、だらだらとゆるい坂を上るのだが、ときには、進むのを嫌がって、近くの公園に行こうとする。たいてい飼い主の私が、負けて犬の言いなりになる。こんなことをしているせいか、なかなかいうことを聞かない。犬は、その家に人を順位付けすると言われている。うちでは、カミさんが1位、私が2位、まだ嫁にもいかない娘が3位であるらしい。
 でもよその柴犬を買っている人に聞くと、やっぱり人の言うことを聞かないらしい。でも無理やり引っ張るのよ、とこれは女性の飼い主の弁。わたしはすぐ負ける。犬の散歩もはたで見るのとは違って、結構苦労もある。所定の場所で、生理現象を済ませるのだが、いつもそうとは限らない。時には、よそのお宅の玄関前で始めるときもある。そんな時に限って、その家の人が、出てきたり、帰ってきたりするのに出くわす。あわてて、「ほらダメでしょ」などと言ってみるが、わかるはずもない。あわてて後始末をする、その時のバツの悪さ!それでも1度でもかわいいしぐさをすると、そんなことを忘れて、家へ帰って「きょうはかわいかったよ~」となる。

【百人一首コーナー】
百人一首のことを書こうと思っていて、また犬のことになってしまった。
百人一首には犬は出てこない。「犬棒カルタ」では最初に出てくけれど。
百人一首の言い方だが、わたしが子どものころは、「ひゃくにんしゅ」と言っていた。
ところがいまの子どもは、いや大人も「ひゃくにんいっしゅ」といっているようだ。最初に百人一首に接したのが、母の田舎だったので、わたしが違うのかと思っていたら、昔から「ひゃくにんしゅ」というのが”読みぐせ”として、通じていたようだ。ついでにいうと”腹づつみ”も言い癖で、ほんとは”腹つづみ”だ。
 百人一首の選者は、藤原定家だと言われてる。定家が、嵯峨の山荘において、宇都宮頼綱(よりつな)の依頼で、自ら書いて贈ったというのが、いちおう定説になっているという。
宇都宮氏は、定家の息子・為家の妻の父である。嵯峨中院の別荘で余生を送っていた。関東の裕福な豪族だったと。嘉禎元年(1235年)の春、そこで歌会が催された折、定家にそのことを依頼したという。1334年には、後醍醐天皇による建武の新政がはじまった。1336年には湊川の戦で、楠木正成が戦死した、そんな時期であったそうだ。
「嵯峨の山荘の障子に、上古以来の歌仙百人の似せ絵を書て、各一首の歌を書きそえられたる、更に此のうるはしき体のほか別の体なし」と、「井蛙抄」にも記されているという。
1235年は、定家が80歳で亡くなる6年前のことであったと。当時にしては、結構な齢ですねえ。
 勅撰集と違って、親類の屋敷の障子を飾るのであるから、楽しみながら選んだと思われる。
だからか、結構つまらない歌も百首の中に入っている。織田正吉氏によれば、百人一首は一種のパズルになっているのだと、かなり詳しく調べてある。それなら、パズルをつくるために多少は変わった歌も入るだろうと思われる。この事については、ずっと後で触れる。
 犬の話をしてしまったので、長くなってしまった。
 ではまた次回。ごきげんよう。