bluelake725のブログ

最近、朗読に関心を持ちました。そしたら改めて、日本語を勉強する必要があると感じて
いるところです。(えびなコトバの会)

【19】『カチカチ山』

11月20日、「朗読を楽しむ」講座の次の作品は、何だろうと期待していた。
プリントが手渡されて、題名が目に入ったとき、なぜかホッとした。
”太宰治作「カチカチ山」2人よみ”である。


この作品は、太宰治の「御伽草紙」(おとぎそうし)の中の一つである。
この『お伽草紙』の中には、『瘤取り』『浦島さん』『舌切り雀』が含まれる。
4作品である。
わたしは、『瘤取り』についで二つ目、わくわくする。
『お伽草紙』には「前書き」がついている。
戦時中、警戒警報が鳴り、高射砲が鳴り出すと、5歳の女の子を抱えて、防空壕に入る。
女の子は、やがてもう壕から出ましょうとぐずり始める。唯一のなだめる手段が絵本であった。
桃太郎、カチカチ山、舌切り雀、小太り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。という設定である。


 ムカシムカシノオ話ヨ 
などと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのずから別個の物語が、醞醸(うんじょう)せられているのである、と記されている。


わたしも、間の抜けたような妙な声で読んでみようと思う。


【百人一首コーナー】
 わたしは、百人一首には苦手である。いくつかうろ覚えのものもあるが、まずダメである。
子どものころ、母親の里で子ども同士で”坊主めくり”などをして遊んだが、成長して、読み上げと札取りが始まると、もうまるでダメであった。それ以来”いつか必ず”と思っていた。
しかし、知ってみると札取りのカルタと、百人一首の理解とはまるで別物であるとわかった。
札取りをしていても、百人一首の中身は知らないということが多いという。
白洲正子も『私の百人一首』の中でそう言っている。さらに現在のあのすさまじい”札取り合戦”を見て、「近頃はお正月になると、時々テレビでカルタ会の情景を放送するが、そこにはかつての遊びはなく、殺伐たる勝負の道場と化している。もはや素人はよりつけないし、よせつけもしない」とあきれている。 
 百人一首を、日本の歴史の一部、日本文学史の基底を流れる宝として、見直す必要を感じるのである。


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