bluelake725のブログ

最近、朗読に関心を持ちました。そしたら改めて、日本語を勉強する必要があると感じて
いるところです。(えびなコトバの会)

【8】リュウの散歩

雨が止んでいたので、いつものように朝の散歩にリュウと出かけた。
近くの五社神社の参道から本殿まで、落ち葉が、びっしりへばりついている。
もうほとんど明るさを失った葉っぱだ。汚れているという感じはなく、なにか模様のような感じがした。まだ銀杏のの葉はあまり落ちていない。これからさらに色づいて、黄金色のじゅうたんがつくられる。もう少し時間が必要だ。はらはら落ちる銀杏の葉の中に、佇むのもいいものだ。そんな時が、すぐ来る。
 最近、参道を竹ぼうきを持って掃いている女の人を見かける。けさは、リュウが散歩の途中で引き返すというもので、神社の前を2度通った。帰りに「いつもありがとうございます」と言ったら、手を休めて「いいえ」と言いながら、言葉を続けた。
 「神主さんの奥さんと間違えられるんです。勤めているころは血圧が高くて、200を超えることがありました。いま仕事を辞めて、自分にできることはないかと思っていたとき、ここのお掃除を思いついたのです」と言っていた。バス停や駅の掃除も考えたけど、こちらの方にお願いして、やらせてもらっています、と言う。以前は、葉の落ちることも知らず、気がついたら季節が変わっていた。今は葉の一枚一枚の色に、季節が感じられ、葉っぱとあいさつしながら過ごしています、と目がやさしかった。
 リュウは、家に帰ると庭に入り、突っ走る。それを2度3度と繰り返すと、今度は、ボールをくわえてわたしのところに来る。投げてやると走って取りに行く。またくわえてくるので、「やる?」と、私が手に持っているボールを突き出すと、ぱっと歯をあてる。「やる」という意思表示だ。また投げる。取ってくる。そのうち「やる?」と聞いても知らん顔をするようになる。もうお終いという返事だ。水を飲む。あちこちかぎまわって、それも終わり、ボ~っとしているから、「おいで!」というと、跳んでくる。私の前でちょこんと座る。リュウの部屋に行く時間だ。朝の散歩ははこうして終わる。神社を掃く人にであって、話しを聞いて、いい朝であった。きょうもリュウは元気。元気が一番。リュウは、10歳、体重8キロの柴犬だ。


【7】第28回渡辺知明表現よみ独演会に行ってきた

朝になって、やっぱり行こう、と思った。最近出かけることが億劫に感じられるようになった。これはいけないことだ。今朝、渡辺先生の「にごりえ」を、ネットで聞いた。あとについて、リピートしたくなる。言葉がよく聞こえる。これも最近そうなんだ。そのせいかどうかわからないが、渡辺先生に、最近先生の「よみ」変わりましたね、などと言ってしまった。もしかしたら、わたしの中の何かが変わったのだろうか。なにか聴くことが楽しめるようになったような気もする。わからない。
 だから確かめたくなって、メールを打った。チケットがほしいと。
 場所は、大崎駅前の「ニューオータニイン東京」、2時30分より。
 今日の演目は、「梶井基次郎「闇の絵巻」、中島敦「文字禍」、太宰治『カチカチ山』、夏目漱石「吾輩は猫である」4本である。いずれもいい。見事なものであった。第1楽しかった。自分が少し聴けるようになったせいもあって、今までより  時間が短く感じた。いつも感じることだが、
進行が、さっぱりしていて、よろしい。これは多分に渡辺先生のお人柄によるものだろう。まったく嫌みのない、空々しいところもなく、安心して、座席に落ち着いていられる。ご本人に訊いたら、何とおっしゃるだろうか。いや、いい気分であった。夕方の我が家の飼い犬の世話があって、急いで帰ってきたのが少し惜しまれた。
 「闇の絵巻」、闇が私たちに与える感情と闇が作り出す世界が、聴いていて目の前に現れた。いい作品だと思った。いい読みであった。
 「文字禍」、”文字には霊があるか”と問う。「文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである」だからコトバの勉強をせっせとやらなくちゃ。
 博士は答えた、「歴史とは、昔あったことがらで、かつ粘土板に記されたものである。この二つは同じことではないか。書き洩らしは?と歴史家が聞く。書き洩らし?冗談ではない、書かれなかったことは、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局はじめから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ」じつに意味深長。現代を見よ。
「カチカチ山」うまいねえ。「吾輩は猫である」うまいねえ。時間が経つのを忘れて、聴いていた。
 上の二つは、帰ってから自分でも読んでみた。そうさせるきょうの「よみ」であった。


【6】久しぶりの表現よみ鑑賞

11月6日川崎多摩朗読の会の表現よみ発表会を聴きに出かけた。
向ヶ丘遊園駅から徒歩7分ぐらいのところにある多摩市民館である。
今回は大会議室が取れなかったのでしょう、ややせまい会議室で、早めにいかないとあふれちゃうかなと思いつつ廊下を歩いていくと、「えびなの方ですね」と声をかけられて、少し驚いたり、ホッとしたり、うれしかったり。こういう発表会では、いろいろな作品を聴くことができる。自分がなじみのある作品は、特に、どんなふうに読まれるのか関心が高まり、勉強になる。
 今回は「最後の一句」と「悟浄嘆異」に期待した。見事な読みで、勉強になった。
「舌切り雀」も楽しく聞けた。そのうち自分でも太宰の御伽草子に挑戦してみようかと思った。
 最後の講師・渡辺知明氏の読みは、さすがです。きてよかった、と思ったのです。
「吾輩は猫である」をいい調子で、読んでおられた。「表現よみ」講座も、いろいろな声の変化や口調のちがい、強弱の発声などを織り交ぜて語られ、きっと入会する人がいるんじゃないかと、期待してしまった。
 全体としてよく読みこんだいい発表会だった。来年の案内を希望するに、〇をつけておいた。