bluelake725のブログ

最近、朗読に関心を持ちました。そしたら改めて、日本語を勉強する必要があると感じて
いるところです。(えびなコトバの会)

【20】一本の鉛筆と平和教育


【これはぼくの鉛筆】  

 川崎 洋 これはぼくの鉛筆 これはぼくの鉛筆で 書いた手紙

これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車


これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山


これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山に 住んでいるキツツキ
これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山に 住んでいるキツツキが 穴をあけてしまった雨戸


これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山に 住んでいるキツツキが 穴をあけてしまった雨戸を 直してくれた大工さん


これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山に 住んでいるキツツキが 穴をあけてしまった雨戸を 直してくれた大工さんの いびき


これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山に 住んでいるキツツキが 穴をあけてしまった雨戸を 直してくれた大工さんの いびきで眠れない 犬


これはぼくの鉛筆で 書いた手紙を 運ぶ列車の 窓から見える山に 住んでいるキツツキが 穴をあけてしまった雨戸を 直してくれた大工さんの いびきで眠れない 犬が あくる日の昼間にみた夢
 (※川崎洋少年詩集―『叱られた神さま』)


この詩は、私がいつも楽しみに拝見しているブログ、菅原恭正さんのブログで知ったものです。
菅原恭正さん、いつもお世話になっております。
わたしも美空ひばりさんの唄っていた[一本の鉛筆]という歌は広島平和音楽祭などで唄われていたので知っていましたが、この詩は初めてお目にかかりました。
子供向けの英語の本に、これと同じように、次々形容詞節がつながっていくのを見たことがあります。
わたしが、英語を教えているころ、関係代名詞を教えるときに利用した記憶があります。
それを思いだし、懐かしさで、お借りしました。
ここ数年は、年賀状に「教え子を再び戦場に送るな」「教え子や子や孫を再び戦場に送るな」
と書いてきましたが、情勢が少し変わってきましたので、なにを書こうか考えていました。
 まだ学校に勤めていたころ、平和教育として、横浜大空襲、広島長崎の原爆被害を教材にしました。組合でも資料を出していたので、それを使ったり、自主教材を作ったりしていました。ビデオも活用しました。それが平和教育だと思っていました。当時はそれでよかったのかもしれません。
 ある時、子どものこんな声が聞こえてきました。
 「先生、また戦争の話?」もううんざりだという言い方でした。
 今ならどういう内容で、平和教育をしているのでしょうか。
ひところ職員室で、平和の話がしにくくなったという話を聞いたことがあります。
今ならきっと、戦争が、どんなに悲惨なものであるか、現在世界でどんな戦争が行われているか、そして戦争に反対し、平和のために尽力した人々とその活動を子どもたちに知らせていくことが大事だと思います。
 今、日本の国は、その反対側に進んでいるような気がします。
 心配です。
 爆弾が頭の上に落ちてくる。
 銃で撃たれる。被害だけでない。加害者になる恐ろしさ。
 戦争は、人間を人間でなくさせれる。
 おそろしいことができるようになってしまうという。
 普通の生活ができるうちに、平和が大切だと叫びたい。。
 いつの間にか自由にものが言えなくなる、書けなくなる。
 戦争はいけないことだと、言えるときに言わないと取り返しがつかなくなる。
 戦争や平和に関することを、日常の話題にすることが、町の平和教育かもしれない。

【19】『カチカチ山』

11月20日、「朗読を楽しむ」講座の次の作品は、何だろうと期待していた。
プリントが手渡されて、題名が目に入ったとき、なぜかホッとした。
”太宰治作「カチカチ山」2人よみ”である。


この作品は、太宰治の「御伽草紙」(おとぎそうし)の中の一つである。
この『お伽草紙』の中には、『瘤取り』『浦島さん』『舌切り雀』が含まれる。
4作品である。
わたしは、『瘤取り』についで二つ目、わくわくする。
『お伽草紙』には「前書き」がついている。
戦時中、警戒警報が鳴り、高射砲が鳴り出すと、5歳の女の子を抱えて、防空壕に入る。
女の子は、やがてもう壕から出ましょうとぐずり始める。唯一のなだめる手段が絵本であった。
桃太郎、カチカチ山、舌切り雀、小太り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。という設定である。


 ムカシムカシノオ話ヨ 
などと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのずから別個の物語が、醞醸(うんじょう)せられているのである、と記されている。


わたしも、間の抜けたような妙な声で読んでみようと思う。


【百人一首コーナー】
 わたしは、百人一首には苦手である。いくつかうろ覚えのものもあるが、まずダメである。
子どものころ、母親の里で子ども同士で”坊主めくり”などをして遊んだが、成長して、読み上げと札取りが始まると、もうまるでダメであった。それ以来”いつか必ず”と思っていた。
しかし、知ってみると札取りのカルタと、百人一首の理解とはまるで別物であるとわかった。
札取りをしていても、百人一首の中身は知らないということが多いという。
白洲正子も『私の百人一首』の中でそう言っている。さらに現在のあのすさまじい”札取り合戦”を見て、「近頃はお正月になると、時々テレビでカルタ会の情景を放送するが、そこにはかつての遊びはなく、殺伐たる勝負の道場と化している。もはや素人はよりつけないし、よせつけもしない」とあきれている。 
 百人一首を、日本の歴史の一部、日本文学史の基底を流れる宝として、見直す必要を感じるのである。


【18】ドラマリーディング『カイロ団長』の練習

きょうは、「えびなコトバの会」の表現よみの部、11月例会。
1時45分開始だが、1時15分にはもう集まり始め、先生も1時30分にはスタンバイ。
とにかく今日だけで、なんとしても、「えびなコトバの会」としての、作品に仕上げなくてはいけない。
今年5月の日本コトバの会総会では、「猫の事務所」のドラマリーディングをやりました。
ドラマリーディング2作目です。
全体は、34分ほどかかるようですが、今回はそのうちの一部を上演します。
最初の部分。30匹のアマガエルが、仲良く、楽しく仕事をしています。
あるとき、アマガエルたちが仕事が終わって帰るとき、今までなかった店ができていたのです。そこの店主(トノサマガエル)は、アマガエルたちに、粟粒をくりぬいたコップで、ウイスキーを飲ませます。粟粒のコップですから、どんどん飲めます。342杯も飲んでしまうアマガエルも出てきます。ところがお金が払えません。そこでアマガエルたちは、トノサマガエルの手下になって、働くというところまでやります。
宮澤賢治の作品ですから、新潮文庫の「銀河鉄道の夜」の中に入っています。
アマガエルの役が面白そうなので、わたしはそれをやりたいな、と思っています。