bluelake725のブログ

最近、朗読に関心を持ちました。そしたら改めて、日本語を勉強する必要があると感じて
いるところです。(えびなコトバの会)

【21】百人一首

寒い1日であった。いつものように朝7時にリュウの散歩に出かけた。
犬の機嫌はどういうことなんだろうと思う。家を出てみぎへ、だらだらとゆるい坂を上るのだが、ときには、進むのを嫌がって、近くの公園に行こうとする。たいてい飼い主の私が、負けて犬の言いなりになる。こんなことをしているせいか、なかなかいうことを聞かない。犬は、その家に人を順位付けすると言われている。うちでは、カミさんが1位、私が2位、まだ嫁にもいかない娘が3位であるらしい。
 でもよその柴犬を買っている人に聞くと、やっぱり人の言うことを聞かないらしい。でも無理やり引っ張るのよ、とこれは女性の飼い主の弁。わたしはすぐ負ける。犬の散歩もはたで見るのとは違って、結構苦労もある。所定の場所で、生理現象を済ませるのだが、いつもそうとは限らない。時には、よそのお宅の玄関前で始めるときもある。そんな時に限って、その家の人が、出てきたり、帰ってきたりするのに出くわす。あわてて、「ほらダメでしょ」などと言ってみるが、わかるはずもない。あわてて後始末をする、その時のバツの悪さ!それでも1度でもかわいいしぐさをすると、そんなことを忘れて、家へ帰って「きょうはかわいかったよ~」となる。

【百人一首コーナー】
百人一首のことを書こうと思っていて、また犬のことになってしまった。
百人一首には犬は出てこない。「犬棒カルタ」では最初に出てくけれど。
百人一首の言い方だが、わたしが子どものころは、「ひゃくにんしゅ」と言っていた。
ところがいまの子どもは、いや大人も「ひゃくにんいっしゅ」といっているようだ。最初に百人一首に接したのが、母の田舎だったので、わたしが違うのかと思っていたら、昔から「ひゃくにんしゅ」というのが”読みぐせ”として、通じていたようだ。ついでにいうと”腹づつみ”も言い癖で、ほんとは”腹つづみ”だ。
 百人一首の選者は、藤原定家だと言われてる。定家が、嵯峨の山荘において、宇都宮頼綱(よりつな)の依頼で、自ら書いて贈ったというのが、いちおう定説になっているという。
宇都宮氏は、定家の息子・為家の妻の父である。嵯峨中院の別荘で余生を送っていた。関東の裕福な豪族だったと。嘉禎元年(1235年)の春、そこで歌会が催された折、定家にそのことを依頼したという。1334年には、後醍醐天皇による建武の新政がはじまった。1336年には湊川の戦で、楠木正成が戦死した、そんな時期であったそうだ。
「嵯峨の山荘の障子に、上古以来の歌仙百人の似せ絵を書て、各一首の歌を書きそえられたる、更に此のうるはしき体のほか別の体なし」と、「井蛙抄」にも記されているという。
1235年は、定家が80歳で亡くなる6年前のことであったと。当時にしては、結構な齢ですねえ。
 勅撰集と違って、親類の屋敷の障子を飾るのであるから、楽しみながら選んだと思われる。
だからか、結構つまらない歌も百首の中に入っている。織田正吉氏によれば、百人一首は一種のパズルになっているのだと、かなり詳しく調べてある。それなら、パズルをつくるために多少は変わった歌も入るだろうと思われる。この事については、ずっと後で触れる。
 犬の話をしてしまったので、長くなってしまった。
 ではまた次回。ごきげんよう。

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